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好きな街をよく歩く・・・。そこで感動したものを写真にしています。


by knoty
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⑤忍阪から阿騎野・大宇陀

 9月11日奈良盆地東南部から山間部へ続く、神武天皇、額田王ゆかりの道、忍阪(おっさか)と、阿騎野・大宇陀を歩きました。

 最初に『忍阪(おっさか)』道です。下の地図をご覧ください。名古屋からのバスは近鉄大阪線『大和朝倉駅』近くの郵便局「忍阪局」で下車、ここから地図の黒線の道を歩きます。

 最初は外鎌山の麓にある第34代舒明天皇の陵に寄り、次は中臣鎌足の正室で万葉の歌人として有名な鏡女王の墓を訪れ、そこから少し戻って石居寺にお参りしました。石位寺には白鳳時代に製作された我が国最古の石像浮彫像『伝 薬師三尊石仏』(重文)が祀られています。

 石居寺の庭に咲く百日紅の赤い花が美しく、そこから見る重厚な日本家屋は大和の豊かさを垣間見ます。
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 石居寺近くから再びバスに乗り『阿騎野・大宇陀』に参ります。下の地図がそれで、宇陀市にあり、昔は伊勢街道と吉野、熊野道に近く、交通、通商で栄えた城下町であり、宿場町です。

 地図下やや右に黒丸(道の駅『宇陀寺大宇陀』)がありますが、ここが出発点です。国道370を矢印に沿って上に歩き途中から左に折れて徳源寺まで行き、そこから戻って国道166を途中まで下がり、最初の黒丸が終点になります。
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 この地は薬と縁が深く、推古天皇の時代に阿騎野で薬狩りが行われたと、『日本書紀』に書かれているそうです。享保年間(1716~36)に森野藤助が創めた民間の薬草園が現在も引き継がれ、今でも薬草木が約250種ほど栽培されています。それが『森野旧薬草園』です。
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 当日ボランティアガイドとして親切に案内して下さった方です。暑い中有難うございました。
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 古い街並みが美しい通りを歩けば『大宇陀歴史文化館薬の館」にきます。この家は文化3年(1806)から幕末まで薬問屋を営んだ旧細川家の住宅です。
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 次は『松山西口関門』です。今から400年まえ、福島氏が領主であったころに建てられた宇陀松山城の西門です。
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 徳源寺の境内は急な登り坂が続きます。
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 徳源寺は江戸前期の藩主、織田家の菩提寺です。織田信長の次男で宇陀松山藩祖の信雄から高長、長頼、信武の4代の墓が建っています。
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 徳源寺を下り暫く歩くと『阿木神社』に到着します。本殿は伊勢神宮と同じく南向きに建てられた神明造りです。境内には能の舞台があり、1992年(平成4年)に薪能を復活、1995年(平成7年)からは『あきの蛍能』として毎年6月中旬に能楽が開催されているそうです。
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 次は『かぎろいの丘公園』です。園内には柿本人麻呂の歌碑(下の写真)があります。
 かぎろいは厳冬期の曙光で、人麻呂が見たとされる旧暦11月17日に『かぎろひを観る会』が園内で開催されるそうです。
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 いよいよ最後の『阿騎野・人麻呂公園』です。古代の大宇陀は阿騎野と呼ばれ、朝廷の薬狩りが行われた場所です。男は若い鹿の角(強壮剤)を取り、女は薬草を摘んだと云われています。そして、その時代の施設らしい建物が出土した中之庄遺跡を整備し、柿本人麻呂の石像を建てて公園としています。

 さて、これで全行程を終わり出発点の道の駅に戻り、バスで帰途に向かいました。
 
 
by yk120715 | 2012-09-17 16:58